続・衝動買いをやめたいので考えていた
物の価値はお金だ。
お金というものがまだ生まれていない時代は物物交換をしていたと思う。
それがある時お金っていうものを使うことにしないかい?と提案した者が居たのだろう。
お金の初期の頃の試験段階なんか皆戸惑ったはず。
面白そうだから提案に乗る人。
お金もお金を提案した者もとにかく気に入らないので大反対の人。
取り敢えず使ってみようと思う人。懐疑的な人。
物事の対価を手元に残す手段としてお金が生まれた。
例えばお金を介すことによって夏に獲れる野菜と冬に獲れる魚なんかのやりとりがスムーズになったりして、お金を導入することに反対だった人も使ってみればみるほどなくてはならない存在となった。
ところが、
物事の対価を手元に残せるようになったということが弊害になることも判ってきた。
お金をうまく使う人達とそれができない人達、住む地域や環境が原因でお金をうまく貯められる人達とそれをできない人達が分別されることにつながった。
結果的に大きな格差も生まれたり。
発明は大きな進歩も弊害も併せ持つと言いたかったのだが、今ではもうこのような発明は簡単にでてくることはないだろう。大発見は有っても。
とにかくお金という発明は本当に偉大だなとつくづく思う。
karintoukoinobori.hatenablog.com
そんな時代だからこそ自分もお金の本来の使い方を忘れないことが大切かと思ってふら〜と考えてたことを書いてみたくなった。
毎月なぜだか僕の手元にはお金があまり残らないので反省をする。
僕は物事の価値をよく考えられていないから貯金ができないのだろう。
働いて手に入れた対価を真っ当な対価で物やサービスに変えらているか?
対価が真っ当かどうかは時間と労力に直してどれくらい生活を楽に出来るかだと思っている。
例えば、
スーパーで魚を買う行為は、自力で魚を釣り上げることに使う時間と労力をお金で買っている。道具を揃えて海まで行くことを考えるとそうだろう。
携帯電話会社へ月額利用料を支払う行為は、自力で相手の元へ行き要件を伝えて帰って来る時間と労力をお金で買っていることになる。
映画を見るために大人一人分を支払う行為は、娯楽を得るかわりにお金を払っている。時間と労力の話につながらない思われるかもしれないが、その見たい映画を自分で作り上げるとしたら一体何年勉強してそこにたどり着けば良いのだろうか。
パチンコにお金を使うということは、短時間で簡単に得られる刺激を買っている。もしかすると大損をする可能性だってぬぐいきれないが、ともすれば大きな成果を上げて返ってくることもある。一回に費やす平均時間は3.5時間というデータがあるみたいだが、座っていて労力も少ない。
少々僕には不要だと思っているお金の使い道も挙げたが、何に価値を求めるかは人それぞれなのでそこには触れないし触れられない。
現代だし、ここは日本だし。
だから僕ももう一度お金の使い方を見直していかなくては。
時間、労力、それぞれの価値さえ踏まえれば僕にもお金の使い方の間違いは減らせそうだ。
とは頭ではわかっていてもなのだけど。