僕の持っていたテクノのCDを知らないか
タイトルの通りである。
とても好きだったCDが見つからない。
売ってしまった記憶もない。
しかしいつかまた戻って来ることを願って振り返ってみることにする。
田中フミヤ / MIX UP vol.4 (1996)
言わずと知れた日本が誇るミニマルテクノDJ 田中フミヤの初期のDJミックス。
今の彼のスタイルはこの頃と比べるとかなり変化していて面白いが、昔はかなりファンキーでドストレートなプレイをしていたんだね。知ってたけど。
Jeff Mills / the Other day (1997)
デトロイトテクノの天才ミニマリスト、ジェフ・ミルズの12インチEPを集めたアルバム。ミニマルテクノ数あれ幅あれどこのアルバムは良かった。
テクノに興味を持った頃、日本人は石野卓球、外人(ひとくくり!)はジェフ・ミルズみたいなところもあった。僕の中でだけど。
一つ言えることは、ジェフ・ミルズは的を射ている。
石野卓球 / DJF400 (1998)
電気グルーヴ石野卓球氏のDJミックス。コロコロした音のミニマルから始まり、シカゴ、クラシカル、自身の曲等も織り交ぜた確か72分で当時僕は74分対応のMDに移して聞いていた。すごく言いたいことは人生で一番聞き込んだCDじゃないかってこと!
Cloud Young / DJF1100 (1999)
確か前半30分、後半30分の二部構成のDJミックスだった。
前半はラテンハウスミックスで僕の好きなSOUND HACKなんかも入っていたはず。
後半はミニマルミックスで、The Advent、Oliver Hoが入っていた。
これも良かった。
DJ HELL / Fuse Presents DJ HELL (2000)
先に挙げた4作品に比べるとお付き合いの期間はとても短かったと記憶する。
なので思い出もなんとなく少ないのだが、内容は終始切ない雰囲気だったと思う。
でいてまとまってて、今聞くとセンチメンタルになってしまいそうな。
とても良かった。
こうやって書いてみると今でも内容を思い出せるし、どんな曲が入っていたかもなんとなく口ずさめる。
ミニマルテクノを口ずさまれても困ると思うが。
去年と同じポチ袋はいやか?で自作した話。
お年玉をあげる子が少ないのである。
すると昨年も一昨年もポチ袋(お年玉袋)が余るのだ。
だからといって去年使ったポチ袋をまた使うのはいかがなものか。
まま出来れば同じものは使いたくないので、味気ないし、意外と子供は覚えていたりするので今回は自分で作ってみた。
完成!
上の図のように高さが11cmになるように作ると、A4用紙1枚でポチ袋2個作れてしまう。これを印刷。
あと今回の作成に使ったノリはこのようなテープ式のもの。
液体ノリと違って紙がふやけることなく綺麗に仕上げられるので良い。
100均で2個入りも買えるので便利である。
手元にまだ用意していない人も、ポチ袋を買うなら少しでも多くお年玉をあげたい人も是非真似してほしい。
山登りとモチベーションの上げ方
モチベーションってのがある。
僕は三日坊主。極める前に気が変わって他のことに手を付け始める。
ここでモチベーションをどう保つかを考えた。
昔の僕は思い立ったらすぐ行動!とばかりに、興味を持ったらすぐ行動、すぐ準備をしていた。例えば登山に興味を持ったらすぐに山の本を買いあさり、アウトドアショップへ行き「まずは形からだ!」とばかりに必要そうなものを買うといった流れだった。
しかし、よく考えもせず準備した僕は、すぐに自分には向いてないと放り出すといったことを繰り返し繰り返し行ってきた。本当に手のつけようがないと思っている。
登山はそれでも僕の趣味として定着しつつあるが。
エンジンに例えよう。
トルクはあるが馬力がないみたい。
馬力がないのである程度進んだらそれ以上加速しないで失速する。
しかい、トルクはあるのでまた急発信することはできた。
ある程度進むと失速するが。
そんな自分をコントロールするために、自分の行動に制限をかけてみることにした。
「思い立ったら、」と、「すぐ行動!」の間に色々イメージするのだ。
昔の僕は
「登山を始めたら◯◯岳に登ろう」
くらい。
ちょっと工夫して
「登山を始めたら◯◯岳に登ろう!。◯◯岳の頂上はどんなところかな?寒いかな?それとも暖かいかな?それにしても絶景だろうな!そうだそうに違いない!あああ、イメージは膨らむばかりだ。想像した通りの景色だとしたら満足感いっぱいだ。想像と違う景色だとしたら色々覆されるかも!?それもこの目で見たら感動は測りきれないよね!きっと一生の思い出になるし、人にも自慢できちゃうかも!?」
これくらいイメージを膨らませてそこに挑戦してみる。
あほらしいくらい始める前にモチベーションを高めることで、
途中で諦める自分はもっとあほらしいんじゃないかと思うようになるまで。
これは趣味の登山を例えに出してみた。
実際登山に行きたくない時もある。なんとなくだけど。
忙しくて行けない日が続くとモチベーションが上がって、以前だと想像もしなかった場所へ自分で足を運んでしまうようになった経験から、この心の動きを利用してみることにしたのだ。
これからも興味を持って追求したくなるようなことに出会えたら、
「思い立ったら、」と、「すぐ行動!」の間にイメージを発展させる。
これも僕の心の動き。
僕にも未だ構造がわからない。
大晦日はお父さんとお酒を飲むのだ
気付けば年の瀬。
12月31日は実家で過ごすことに決めている。
食事は夕方6時頃から始められる。
この日だけは食卓ではなく茶の間のテーブルを囲んで食事をする。
集まる兄弟。
避けようとする猫。
並ぶ寿司とオードブル。
注がれるビールとサイダー。
父が紅白と民放を行ったり来たりさせて揉めたのも昔の話。この歳になると誰も文句を言わなくなった。
年を越すと父と近所の神社に行く。
冷たいコーヒーを買って家路につく。
そして深夜のお笑い番組を父と観はじめる。
2時頃、父が寝ると僕もようやくお風呂に入り寝るのが毎年の通例である。
道路地図好きが図書館へ行く
古い道路地図が見たくなった。
例えば現在の地図とどこがどう違うのかを調べるのが趣味だから。
僕の住むところの市立図書館をネットで調べてみた。
蔵書のデータベースがインターネットから検索が可能だからだ。
図書館に足を運ぶ前に確認ができるのでこれは非常に便利だし、良い。
まずは僕の住む〝北海道〟、そして〝道路地図〟とキーワードを入力していざ検索。そして検索結果から一番出版年月日が一番古いものを追う。
すると1971年の北海道道路地図がヒットした。これが市立図書館で扱っている蔵書の中で最古の北海道道路地図のようだ。それにしても1971年出版とは、僕が生まれる10年以上も前の地図だ。決して一度足を運んでみても損はない代物だろう。
うきうきしながら、市立図書館に行ってみる。
「あの、1971年出版のこの地図を...」とタブレットを見せて伝える。
すると係員が裏から目的の道路地図を出してもらえた。
わくわくしながら、その辺に腰かける。
中開く。
「道央道、短っ!」
(↑道央道が南は千歳、北は岩見沢までしか伸びていないのを見た反応)
「札樽道、短っ!」
「なんだ!?こんなところに道路を通す予定だったとは...」
(↑現在は経ち消えた恵庭・千歳に渡す予定だった恵千バイパスを見た反応)
あと、廃線になった線路跡地が現在どのように利用されているかを辿ったりとかも面白い。
札幌市内の地下鉄南北線の豊平公園駅以南の地上部分はもともと定山渓鉄道だったものを利用しているし、跡地が道路になっているところも確認できるし。
そういうのを見ていて面白い。
とにかく古い道路地図には僕の心をくすぐるギミックがぎっしり詰まっていてとても楽しめたのだ!
地図好きは図書館へ行け!
ジャンク品だったCOPALパタパタ時計がサラダ油で修理復活した
数年前に質屋で見つけて買ったパタパタ時計。
ジャンク品扱いで動作保証は無いが、箱付きで美品だったため買うことにした。
(1000円だった)
家に帰りコンセントに挿してみるも案の定動かない。
知識もないしずっと放っておいた。
あれから4年
思い切って分解してみることにした。
モーター音はしている。
が、歯車が回っていない。
ということは、歯車の噛み合わせに問題があるのだろうと思い歯車ボックスを開いてみた。
元に戻せなくなるといけないので歯車を触る前に撮った写真。
しばらく素手で歯車をいじくり、どことどこの噛み合わせに軋轢があるのか調べた。
そして、
噛み合わせが悪かったのも少し直し、台所にあったサラダ油を少し塗って元に戻してみると、なんと動くようになったではないか。
最初は動作音がとてもうるさかったものの、今はとてもかすかになってきている。
このことからほとんど使われることなく質屋に眠っていたのかなと推測される。
今では正常に時間を示してくれている。
続・衝動買いをやめたいので考えていた
物の価値はお金だ。
お金というものがまだ生まれていない時代は物物交換をしていたと思う。
それがある時お金っていうものを使うことにしないかい?と提案した者が居たのだろう。
お金の初期の頃の試験段階なんか皆戸惑ったはず。
面白そうだから提案に乗る人。
お金もお金を提案した者もとにかく気に入らないので大反対の人。
取り敢えず使ってみようと思う人。懐疑的な人。
物事の対価を手元に残す手段としてお金が生まれた。
例えばお金を介すことによって夏に獲れる野菜と冬に獲れる魚なんかのやりとりがスムーズになったりして、お金を導入することに反対だった人も使ってみればみるほどなくてはならない存在となった。
ところが、
物事の対価を手元に残せるようになったということが弊害になることも判ってきた。
お金をうまく使う人達とそれができない人達、住む地域や環境が原因でお金をうまく貯められる人達とそれをできない人達が分別されることにつながった。
結果的に大きな格差も生まれたり。
発明は大きな進歩も弊害も併せ持つと言いたかったのだが、今ではもうこのような発明は簡単にでてくることはないだろう。大発見は有っても。
とにかくお金という発明は本当に偉大だなとつくづく思う。
karintoukoinobori.hatenablog.com
そんな時代だからこそ自分もお金の本来の使い方を忘れないことが大切かと思ってふら〜と考えてたことを書いてみたくなった。
毎月なぜだか僕の手元にはお金があまり残らないので反省をする。
僕は物事の価値をよく考えられていないから貯金ができないのだろう。
働いて手に入れた対価を真っ当な対価で物やサービスに変えらているか?
対価が真っ当かどうかは時間と労力に直してどれくらい生活を楽に出来るかだと思っている。
例えば、
スーパーで魚を買う行為は、自力で魚を釣り上げることに使う時間と労力をお金で買っている。道具を揃えて海まで行くことを考えるとそうだろう。
携帯電話会社へ月額利用料を支払う行為は、自力で相手の元へ行き要件を伝えて帰って来る時間と労力をお金で買っていることになる。
映画を見るために大人一人分を支払う行為は、娯楽を得るかわりにお金を払っている。時間と労力の話につながらない思われるかもしれないが、その見たい映画を自分で作り上げるとしたら一体何年勉強してそこにたどり着けば良いのだろうか。
パチンコにお金を使うということは、短時間で簡単に得られる刺激を買っている。もしかすると大損をする可能性だってぬぐいきれないが、ともすれば大きな成果を上げて返ってくることもある。一回に費やす平均時間は3.5時間というデータがあるみたいだが、座っていて労力も少ない。
少々僕には不要だと思っているお金の使い道も挙げたが、何に価値を求めるかは人それぞれなのでそこには触れないし触れられない。
現代だし、ここは日本だし。
だから僕ももう一度お金の使い方を見直していかなくては。
時間、労力、それぞれの価値さえ踏まえれば僕にもお金の使い方の間違いは減らせそうだ。
とは頭ではわかっていてもなのだけど。